人に迷惑をかけて死ぬべし

人に迷惑をかけて死ぬべし

できるだけ人に迷惑をかけて派手に死ぬつもりになるのが自殺防止法

三島由紀夫の「不道徳教育講座」から生きるヒントを得る

冒頭、三島由紀夫はカップルから「自殺するぞ」という手紙をもらう。
カップルは文学的というかお花畑というか有頂天な感じでふたりで死ぬと言う。

その中で、自殺するという青年が自分がませていたことを表現している一文。
「僕のマスを知ったのが三歳、ジイドが四歳、悪い母だね」
なんかエロい表現じゃないでしょうか?マス?自慰?

三島由紀夫を誹謗中傷して最後に
「死ぬ前に三島由紀夫君に逢いに行こうか」という言葉で終わる。

逢う・・って使わないな。そういう出逢いって最近ないと感じました。

死ぬ前に人の顔を見に来るって
「ナポリを見てから死ね」と言われるほど名所旧跡面をしているわけじゃない。
と三島由紀夫は面白がっています。

「ナポリを見てから死ね」とか名所旧跡面とか言葉を使えると文章に味が出るなあとか思います。

「それにしてもこの手紙はなかなかの名分です。ランボオ気取りで、颯爽としていて、これ以上ズバズバ言えまいと言うほどズバズバものを言っている」

ここで、ランボオ気取りの「ランボオ」って誰?
シルベスタースターローンが浮かんでしまったが、どうもフランスの詩人ジャン・ニコラ・アルチュール・ランボーのことのようです。

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三島由紀夫は「アルチュール・ランボオは、早熟な天才以上のもの、すなはち人の世にあらはれた最も純粋な<魂>そのものだつた。かういふ<魂>がいかにして人間世界を生き抜いたか、それこそ怖ろしいドラマである」(「もつとも純粋な<魂>ランボオ」)と評した。
wikiより
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ピカソが肖像画描いてるんですね。こうやって雑学を増やすべし。

突然、少女が
「死にたいな、私、死にたい」と言い出す。
さしたる理由などなく、「飛んできた蛾の鱗粉がコップの水に入ったから死のう」とか不合理極まるものである。

「死のうよ」という言葉は「外国へ行こうよ」とか「飛行機を買おうよ」といった言葉と同じで不可能事だと信じているうちに、だんだん可能のような気がしてくる。
そう思っただけで、世界がバラ色に変わったような気がしてくる。

確かに・・死のうと思ったら気持ちが軽くなることがあります。
あらゆるしがらみ、苦しみ、厄介ごとが全てなくなるんですからねえ。
この誘惑は結構強烈だと思います。
ただ、人間は冷静さが少しでもあれば死の恐怖を思い出すのでそこまでいきませんけどね。

しかし、映画ラディウスの主人公がいたら5メートル以内に近づけば魂がすっと抜けるように死ねます。
あれは危険だ。

とまあ、死にたいと思う人は結構多いのではないかと思います。
そして実際自殺する人も決して少なくない。

三島由紀夫は語ります。

どうせ死ぬんだったら社会に迷惑をかける。
例えば新築マンションでダイナマイト自殺を盛大にやる。

こんなことを考えるうちに考え方は他人の方、社会の方へ向いていく。
ただの自殺が、だんだん社会への呼びかけに変わってくる。
つまり、悪事になってくるのです。

「死ぬ前にあいつを殴ってやる、殺してやる」
「死ぬ前にあの家を燃やしてやる」
「死ぬ前に大金を横領して豪勢に遊んでやる」
他人にできるだけ迷惑をかけて死んでやろうとすると、自殺と言うのはもともと一種の自己目的なので、自殺の意義がだんだんと薄れてきて、やっていることが単なる犯罪行為になる。
そうなると自殺するのがオックウになる。

どうせ死ぬことを考えるのなら威勢のいい死に方を考えなさい。
できるだけ人に迷惑をかけて派手にやるつもりになりなさい。
これが三島流自殺防止法であります。

なるほど、ひとつの解決策だと思います。
面白い。

あと、私的にはやはり「迷惑をかけたくない」と思って死のうとする人も多いと思います。
じゃあ、思い切って「人に迷惑かけまくって」から死ぬと考えればいいと思います。

どうせ死ぬんです。わがまま、情けない、自分勝手なことやってみましょう。
嫌われったっていいじゃないですか。どうせ死ぬんですから。

迷惑かけても、まだ死にたい。
そこまでやってもダメなら、語弊はありますが、それも一つの決断だと思います。
けどね、やっぱりそうする人は「良い人」過ぎるんです。
約束破ろうが、借金踏み倒そうがいいんです。

こんな時は政治家の先生を見てみるのもいいかもしれません。
平気でうそをつく、裏切る、あんなにめちゃくちゃ言われても平気なんです。
なんであなただけが「良い人」でいないといけないの?

いいんですよ。
今は迷惑かけて。

けど、いつの日にか恩返しできればね。

まあ、人にまったく迷惑かけない人もいません。

人に迷惑かけて生きるべし!

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