自分が誇れることを知っておく
2024年5月2日(木) 晴れ
昔の自分の記事を読んで考える。
「自分が誇れることを知っておく」
いいですね。
人間生きているだけで誇れるものです。
今のこの生きにくい世の中ですから。
まあ、その上で考えたいのは
誇れることが承認欲求になってはいけないのかな。
承認欲求になると「自慢」になってしまうし、
無理をすることになる。
SNSでアップするとか・・しんどいでしょう。
心の内で心が熱くなる誇りを持っておく。
堂々と主張できる自分の生きた証。
それはなんでもいいんです。
些細なことで。
でも意固地でひねくれてはいけないんですけどね。
そこが難しい。
別に「何者」かになる必要はない。
自然体で生きていくのがいいのかと思う。
自然体に生きるには承認欲求はなくしたい。
認められようとすると不自然になる。
好きなことを純粋に楽しむ。
売れるとかすごいと言われるとかいりません。
他人に理解されないことを黙々とやる。
そこに誇りが生れる気がします。
ただ、奇抜なことするのとは違う。
ごく普通と言われることでいいのです。
それって何か?そりゃ答えはありません。
探すことを楽しみましょう。
とにかくやってみることです。
わたしも下手な絵でも描きますよ。
そこに才能なんていりません。
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2016年9月1日 執筆
目次
あなたが誇りを持っていることは?
自分が誇れるものってありますか?
誇りというと難しいかもしれませんねえ。
じゃあ、「自慢」はどうでしょう。
「自慢」ってなんか嫌なやつって感じに見られますが、
ある意味誇りに思っていることではないでしょうか?
そりゃ海外旅行の自慢とかされると僻みますわな。
しかし、ここでは
何かを10年やり続けたとか。
何かの資格を取ったとか。
大きなイベントを開催したとか。
今、やっている、挑戦していることでもOKです。
誇りを持つことで「自己肯定感」が高まります。
しいては、自信を持つことに繋がります。
小さいことでも誇る
でも、考えても浮かんでこないかもしれません。
それは誇れることがないのではなく、忘れているか気付いていないだけです。
ただ、誇るっていうと世の中を変えるようなこととか、社会で認められるようなこととか立派なことを考えがちですが、そうじゃありません。
どっちかというと、日々の小さい、そして地味なこと。
ただ、ずって続けてきたというものでいいんです。
庭の花の世話を10年続けているとか。
日記を20年続けているとか(これ私!)
朝5時に起きるのを1年続けているとか
そう、何かを続けてさえいれば、誇れるものは作れます。
継続できたことって、小さいことですが誇れることです。
毎日ノートに「ありがとう」と書く。
これは何てことはない小さなことですが、これを30年毎日欠かさずやったなら、ちょっとした自慢になります。
そしてそれだけ続けるときっと何かが生まれると思います。
もし、何も誇れるものがないなら、何かを続けてやってみてはどうでしょうか。
誇りとは気高いモノ
「誇り」とう言葉のニュアンスは、やはり気高いものを感じます。
誇りを何に持ちたいかというと「生き方」です。
要は「恥ずべき人生ではない」ということです。
仕事が出来なくても、喋りが下手でも、根暗でも、
悪いウソはつかない、約束は守る、社会のために生きる、
自分自身を誇りに思える。
そんな生き方が大切です。
そうなると、人が見ていなくてもマナーは守る。
信義に反することはしない。
弱い人を責めない。
堂々と名乗って発言する。
寛容な心を持つ。
そういったところだと思うんです。
紳士、淑女たれ!ということです。
そういう意味では、自分が誇れるものは「自分自身」ということなのです。