自分は複数存在する。見えているのはそのひとつ。

最近、「13歳から学ぶ~」というタイトルや帯の本を良く読みます。
長年腹落ちしなかった「シュレディンガーの猫」が何かわかった気がします。

箱に入っている猫は死んでいる猫と生きている猫が同時に存在します。箱を開けたとき死んでいるか生きているか確定します。
電子はプラスであり、マイナスでもあり、あっちにもあり、こっちにも存在したりします。
量子力学の面白いところですが、観測するとプラスマイナスや位置が確定されます。
この「観察する」と確定する。
その意味というか感覚を理解するのが難しいんです。
観察するまでは複数の要素を持っているのに観察するとひとつになる。
うーん、実際はまだまだわかっていないんでしょうが、何となくわかる気がしています。

これって人間も同じ。
イケテる自分もダメな自分も併存しています。
これを誰かが観測した時にそれは確定します。

つまり、自分という存在は常に複数存在していて、今見えているのはそのひとつを発見したに過ぎないわけです。

あ、けど、量子力学ってマクロなものには作用しにくいんですけどね。

人間は男でもあり、女でもあり、その他でもあるんです。
観察したものが男であっただけで、女の自分も存在しているんです。逆もまたしかり。
女性が男っぽく見える時や男に女性的なことを感じる時ってあります。

人間が見ているものは一面でしかありません。
視界は180°だし、脳が再編集しているイメージだけ。

「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」でゾンビから逃げる主人公はスーツ姿の紳士に助けを求めます。
けど、後ろから見たら裸のゾンビでした。見えていないのでゾンビに助けを求めてしまいます。

人間は見ているようで何も見ていません。試しに回りをじっくり観察して、何があるか頭にメモしながら見てください。色々、見えなかったものが見えてきますよ。

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