女と男を全く同じに扱うと性差別になる。それってどういうこと?
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アップルカード問題 「性別を問わない」性差別
起業家のデイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソンは、所得税申告を妻と合算でしており、また信用スコアは妻のほうが高かったにもかかわらず、アップル・カードが夫デイヴィッドに設定した利用限度額は妻の20倍だったとツイートした。アップル・カードはゴールドマン・サックスがサービスを運用している。
MITテクノロジーレビュー
このツイートを受け、ゴールドマン・サックスは限度額を決定する際に性別は考慮していないとの声明を投稿した。ゴールドマン・サックスは自己弁護のつもりで声明を出したのだろう。そもそもその人が女性かどうか分からない仕組みになっているのに、女性差別などできるはずがないでしょう? という理屈だ。だが実際には、性別を考慮に入れていないことこそが問題なのだ。アルゴリズムの公平性に関するこれまでの研究では、性別を考慮することで性的バイアスを緩和できるとの結果が出ている。ただ皮肉なことに、与信審査に性別を持ち込むのは米国では違法とされているのだ。
この記事・・一瞬意味がわかりません。
「性別」を判断の基準に入れていないことは「平等」だと考えてしまいますが、ここでは考慮しないことこそ「差別」だと言います。
「性別を問わない」性差別
言葉としては変な気がします。
「比べない差別」みたいな感じでしょうか?
ボーリングの女性ハンデ
私が疑問に思っていた男女差別的なことのひとつが会社のボーリング大会での「女性ハンデ」。
ボーリングなんて、そんなに体力的な違いはないと思うんです。
それなのに30点のハンデです。
優勝賞品が中々良いので、このハンデは結構ずるいと感じていました。
(いや、ハンデなくても負けてましたけど)
しかし、この時の人達の認識は女性にハンデをつけることが「平等」だということだったのでしょう。
女性もそれが当然という感じでした。
うーむ、男女平等というのは単純なものではないと感じました。
アップルカードの件はそういうことを言っているようです。
平等に扱うには調整が必要
世の中平等だ!ということで全くハンデなしにしたら、平等で良い世の中になるのでしょうか?
それは否と思います。
今の世の中、色んなハンデをつけて「平等を調整」しています。
貧乏な人には税金を軽くするとか。
病人や高齢者は優先されるとか。
子供は料金が安いとか。
そうですね。条件を同じにすると強い人間が圧倒的に有利でそれは逆に強い人間を優遇しているように見えます。
どうも「平等」には調整が必要なようです。
これにはそもそも「差別」ってなんだ?と思うわけです。
差別とはなんだろう
差別とは「差をつける」こと・・よく「区別」とどう違うんだと言われます。
差別は差をつけることによって不利益になることです。区別には不利益とかありません。
なので 「差別」という言葉がよく使われるのは「人種」や「男女」です。
南アフリカのアパルトヘイトなどはわかりやすい例ですね。
ややこしいのは実際に差をつけて一方が不利益を受けている状況が見えれば認識できますが、見えない場合。
「差別意識」というものです。
要は「見下している」ということです。
この差別意識というものは誰しも持っています。
「差別」することは人間の性であり、この世に差別意識がない人間はいません。
人間は常に他人と自分を比べ、優位か不利かを判断します。
例えば日本人は欧米の影響もあって黒人に対して「差別意識」があります。
その証拠は「ちびくろサンボ」の絵本が消えたこと。
「黒人を差別してはいけない」と人権団体が言って消えたのですが。それって一番差別してるやん・・・
本当に差別していなければ、「差別するな」とは言いませんからねえ。
差別はいけないと思うと苦しい
日本では差別はいけないと教えられてきました。
けど、社会にでたら差別だらけです。
これ、差別されて不利益を受けた人間にしかわかりません。
差別でも優遇されると悪いこととは思わないのです。
非正規、貧乏、学歴など差別だらけで、みんな何らかの差別をしているんです。
なのに「差別はいかん」と言う。
そうすると心と相違が出て苦しくなります。
それを打ち消すために他人の差別を非難して正当化しようというのが左派系野党の議員です。
差別は日常と思っておけば、楽です。
もちろん、罵倒や暴力はいけません。それは別の話。
ただ、差別意識はどうしようもない。
けれど、差別意識があるから、その差が埋められるんだと思います。
これもまた、米国の与信基準のように皮肉なことなのかもしれません。
まあ、テレビとかで「差別はいけない」と言っている人をみると非常に気持ちが悪いとは思います。