長期休暇がつらい理由
目次
長期休暇はうれしいが
長期休暇・・会社行かないでいい、仕事しなくていい
旅行に行ける、自分の好きに時間を使える
最高のはずなのに・・なんだか心が晴れないなあ・・
なぜだああああああ!!!!
始まったばかりなのに終わりを考えてしまう
私のようなネガティブ人間は休暇が終わった朝を思い浮かべて
「休み・・一瞬だったな」と考えてしまう。
コップに水が半分入っていて「もう半分しかないのか!」と考えてしまうタイプである。
でも、人生はまだまだあると思っている。
他人がまぶしく見える
旅行にもいけず、副業をだらだらやっている休暇・・
そう、何か力が入らない、だらだらして進まない。
時間があれば出来ると思っていたのに、時間が出来てもやらない。
普段は1秒でも有効にと集中力を高めて出来ているのに、ああ、こういうところでもダメ人間だと思ってしまう。副業的には休みが終わってくれたほうがいいとさえ思う。
で、だらだら人のSNSとか見ていると、旅行の話や、新しい活動の話、活躍中の話も、あーみんなまぶしい、うらやましい、ちくしょー。
自分がみじめ
に感じてしまう。
さっき、人生はまだまだあると思っていると書いた。
本当にバカだと思う。
ないわい!
自分のやりたいことに似たことを始めた人がいる。
俺は何をやっているんだ(絶望感)
休暇は人を堕落させるのか?
休暇は人を堕落させるのか。
させます。ただし、それは私のように弱い人間。
あー家に閉じこもっているのもいかんかも・・
どうもエネルギーが停滞している。
核反応ではないが、原子が激しく弾きあってエネルギーが湧きあがる感じがない。
弱い人間は危機や必要性を迫られてケツを叩かれないと動けない。
寝るのと、ボーっとしているのが趣味みたいな人間には、平穏なんていうのは麻薬みたいなもの。
あかーん。
やりたきゃやればいいというけれど・・そりゃ無理だ
あー南の島で毎日釣りだけして生きていたい!
なんていうと、自己啓発系や成功者は言う。
「やればいい」と・・
けどできないわな。
思ったことやるには「力」がいる。
「力」の主な部分は「お金」。
南の島で釣りをして生きるのはお金があればできる。
逆にお金がないと出来きない。
大体、成功者とかはもっと楽しいことしているから、南の島で釣りなんてしょーもないこと考えない。
「思ったらやればいい」なんて言って、皆が南の島で釣りをし出したら、それはそれで大変。街のインフラとかどうするの?
炎天下の道路工事とか、やってくれる人がいるから人間生きていける。
世の中、きつくて、しんどくて、嫌になるとこをやってくれる人がいるから成り立っている。
そして、そうせざるを得ない人を作りだしている社会ということも忘れてはいけない。
「やりたくても、やっちゃいけないぞ」
とは言えない・・
ただ・・やるのはちょっと大変だぞ。
少なくとも多くの人にはそう思ってもらっておかないといけないのだ現代社会は。
休暇中はキャリアチェンジを考えてしまう。
休暇の何が恐ろしいかって・・
そりゃ、自由を体感してしまうこと。
1週間とか、自分の起きたい時間に起きて、自分の好きなところへ行き、自分の好きなことをして、好きな時に眠る。
遊びに行って、広大な自然に触れる。
毎日、あくせく何をやっているのだろう・・
あ、宇宙旅行は非常に危険なのは、人生観ががらっと変わってしまうこと。
壮大な宇宙、巨大な地球、その中のちっぽけな島の、これまたちっぽけな都市の、そのまたちっぽけなビルの一室の、端っこのデスクでわちゃわちゃな宇宙から見て何の意味もない仕事をしている私って・・・
となるのは間違いない。
視点が宇宙規模になってしまうと、もう地球上のちっぽけなことは出来なくなる。
大自然に触れるのも、ちょっと長い自由に触れるのも・・
ああ、私はこんなことやっていていいんだろうか、一度しかない人生、こんなことでいいのだろうかと考えてしまう。
そうなるとキャリアチェンジとかも考えてしまうわけだ。
仕事に追われていれば考えなくてもよかった。
「仕事が忙しいから後から考えよう」と言い訳もできた。
けど、今は休み。じっくり考えられてしまう。
考えると、今のこの人生、仕事がベストじゃないと気が付く。
いや、薄々気が付いてはいたんだけれど、逃げていた。
今それを突き付けられている。
こりゃ、苦しいは「長期休暇」
苦しいのは生き続けるから
ここからは私の持論ですが、人間苦しいのは「生き続け」ないといけないから。
キャリアだの、年金・老後だの、健康だのって苦しいの、この先、生き続けないといけないから。
これ映画「ディープインパクト」みたいに1か月後に地球に巨大隕石が落ちてきて地球が絶滅するとなったら、意外と気持ちが楽になると思う。
もう、将来を心配しなくていい。
勉強って一気に意味がなくなります。勉強って生きるためには必要ですが、死ぬのにはあまり必要がなくなる。メンタル的な勉強はいるかも。
地球絶滅なので、みんな一緒なら、あきらめもつく。
一瞬に蒸発するので痛みもない。
家族、愛する人の大切さがわかると思う。
まあ、暴動とかもあって怖いけど・・
静かに過ごす・・そういうのもいいかもしれない。
そう考えたらテクノロジーで電脳になって永遠に生き続けるって地獄ですな。
思います。人生って50年ぐらいがちょうどいいんではないかと。
なら、私は数年後お迎えがきます。
だったら、ぼーっと生きていてもいいかなって思える。
でもあと50年生きるとなると「ぼーっと生きてんじゃねえよ」と言われてしまう。
だから、私は健康はあまり意識しない。好きなもの食って、だらだら寝るのだ。
病気になったら一気に死ねるように。
逆説的ではあるが死ぬことを考えると生きるのが楽になる。
生きようとすると生きるのってしんどい。
って、なんかえらい話になってしまった。
そう長期休暇ってそういうことを考えてしまう。
そして気づいた人が休み明けに・・
うーん、これって生きづらい社会だからだろうか。
生きていることに感謝できる状況
砂漠で水なしで1日過ごした後の水のおいしさって、想像を絶する。
明日生きているかわからない状況なら次の日の朝日に感謝できる。
平和は尊いけれど、何か人間から生きる力を奪っている気がする。
私がゾンビを好きなのは、そういう理由もある。
ゾンビが溢れかえる世界ではいつ死ぬ(ゾンビになる)かわからない。
そんな世界を1年生きて、今の生活に戻ったらどうだろう。
めちゃくちゃ幸せだろう。
少なくともゾンビは襲ってこない。
災害は不幸なことだけれども、時折、人間に生きることを教えているのかもしれない。
人間ってバカだから、そういう状況にならないと理解できない。
それを疑似的に体験するために小説や映画はあるんだろう。
って、休暇だから、こんなことだらだら書けるんだが・・
救いの島。ゾンビ島
ここからは妄想
そう私は思う。
人間死ぬことを考えれば楽になるなら、死のうと。
ただ、実際に生命を断つ必要はない。
社会的に一度死ぬ。
死んだことにして、あらゆるしがらみから切り離し、離島でゾンビのように彷徨って暮らすのだ。あ、別に彷徨わなくていいけど。
要は公的に離島に引きこもるということ。
島外に接触はできない、だって死んでいることになっているのだから。
国に飯を食わしてもらって生きていく。
税金の無駄じゃない。いつかあなたもお世話になるかもしれないのだから。
そして2:6:2の法則で、生きかえりたくなる人が2割ぐらい出てくる。
その人を戻すことで、ある意味社会的ゾンビとして蘇れる。
もちろん、ゾンビ用の仕事やカリキュラムはいるけどね。
まあ、これはひとつの例だが、今の社会システムに馴染めない人に別の社会システムを用意するのも、生きやすい社会を作るひとつの手ではないかと思う。
いやいや、これ長期休暇の話だったよね。超脱線。
長期休暇、つらいのは金がないから
時給で働いている人にとっては収入が減るというのが長期休暇のつらさ。
休暇もらったって、金がなけりゃつらいだけ。
休暇に合わせてちょっとお金を支給しろ!と思うぞ。
中途半端な長期休暇
長期休暇といっても長くて10日
実は短いぞ。2,3ヶ月あってこそ何か出来ると思う。
10日とかなんで悩む。
2,3ヶ月なら考える。何しようかと。
まあ、それにはお金もいるけどね。
中途半端な長さが苦しめると思う。
もう、いいよだらだら過ごそう
って、悩んでないで、いまこそ長編ドラマみたり、漫画読もうぜ。
いいよ、だらだら過ごしたって、明日死ぬと思っていきていればいい。
あ、思い過ぎて仕事辞めるとかにならないように。
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