妬みや恨みは本来存在しない、自分に腹が立つことはあるけれど

妬みや恨みは本来存在しない、自分に腹が立つことはあるけれど

自分に妬みや恨みを持ちますか?

あなたは自分に妬みや恨みを持ちますか?
不甲斐ない自分に怒りを覚えることはあるでしょう。

しかし、俺って成功しやがって悔しい、失敗しろ!とか思います?
思う人もいるかもしれませんが、それは特異なケース。

けれど、他人にはすごく 妬みや恨みを持ちます。
他人(この場合、自分以外の家族も含む)というものが、もしなければどうでしょう。

というか他人は存在しません。


人間という「集合生物」的にみれば

人は個々人別々の生き物だと思って生きていますが、違います。
人間というひとつの群れ、固まりで生きています。
だから、一か所に集中しようとします。
都市は一人一人の役割で成り立っています。

これは人間の細胞と同じ。
どこの細胞になるかで人生が決まります。

目になる細胞と足の裏では、足の裏の細胞は常に地面に叩きつけられて大変ですが強い。
目は表舞台ですね。芸能人でしょうか。

要は我々はひとつの生物なんです。
同じ個体。
周りの人は全部自分です。

自分なんだから妬んだり、恨んだりすることは本来はないのです。

「ひがみ」「そねみ」「ねたみ」「つらみ」 は幻想

ライバル視していたやつがビジネスで大成功した。
高校の同級生だったやつが芸能人と結婚した。
近所の人が高級車を買った。

「他人」とみたら、面白くない出来事・・・ちっ!と思ってしまうことです。
悔しいと同時に自分がみじめになってしまいます。

けれど、それが自分だとしたら・・・
ビジネス大成功やったー
うほー芸能人と結婚ーーー!
高級車最高ー♪
と思えるんじゃないでしょうか?

そう考えたら、欲しいものはすでに手に入っているんです。
好きな人とも結婚出来ているんです。
世界中旅行できているんです。

人間がやっていることは全てあなたが、わたしがやったことです。

自分と自分の取り分が1:9。どっちみち10取れている。
人間同士では本来、損得はないんです。

それを損と思うのは人間が未熟で原始的な生き物だからです。

そう考えると財産とか資産って意味がないこと。
全部自分のものです。

分け与えても、もらうのも自分。

この感覚は今の人類にはわからないかもしれません。

この感覚があれば、絶対戦争なんかしません。
自分で自分を殺すことになるから。

これねえ、個々で考えると残酷な部分もあります。
いわしの群れは全員無事に生を全うするわけではありません。
大半は食われます。
それでもイワシの群れはなくなりません。

そういう自然の摂理みたいなものも持っておくと柔軟に生きられると思います。

もし、今あなたが「妬み」「つらみ」「うらみ」「そねみ」「劣等感」「卑下」「拗ね」などで身を焦がれそうになっているなら、全部自分だと考えてみましょう。

所詮、細胞のひとつ、されど細胞のひとつなんです。

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