オデシャも必要
うんとお節介を焼くべし
昔は「オデシャ」というあだ名の人が多くいました。
オデシャ
何にでも出しゃばり口を出して、余計なお節介をしてみんなに嫌われながら、
他人のために「ついつい」尽くしてしまうという美しい心情を捨てきれない人
今の世の中、個人主義、不干渉で「お節介」は嫌われます。
まあ、昔から嫌われてるか。
それでも最近はお節介も必要な気もします。
指摘やアドバイスなど「うざい!」となりますが、今は無さすぎる。
さて、ここは不道徳教育講座。三島由紀夫先生は
お節介こそ不道徳な快楽だと言う。
お節介って他人の瑕疵を指摘するわけで、指摘した自分は正しいという肯定感に包まれます。
若者よ老人に席を譲れ!
コンビニ前でたむろするな!
そんな男とは別れた方がいい。
働け!
会社の上司は部下に忠告を与え
部下は後輩に忠告を与え
後輩は子供に忠告を与え
子供は犬猫に忠告を与える
これは
「人を嫌がらせて、自ら楽しむ」メリットがあります。
万古不易(ばんこふえき:永遠に変わらない)の正義感に乗っかって、
それを安全に行使することが出来るのです。
人をいつも嫌がらせて、自分は少しも傷つかないオデシャの人生は永遠にバラ色です。
多かれ少なかれ人間オデシャのところがあり、それを行使している時は
確かに快楽なのかもしれません。
要するにオデシャ(お節介)は他人のためではなく、自分のためにやるものだと言うことです。