202x年以降をどう生きていくか

目次

今、幸せですか?

便利で平和な日本。
他の多くの国からみたら天国みたいな国かもしれません。

確かにトイレは綺麗だし、ご飯も食べられています。
幸せのはず、どう考えても・・・

けれど、あまり幸せを感じていないのはないでしょうか。

なんで?

と問われると一瞬窮するかも知れません。

まあ、そこでどこが幸せで、これからどう考えたら幸せになれそうか。
考えていきましょう。

欲望、向上心、発展

人間はより良い生活、安全、安心をもたらすため努力してきました。
そして今の発展があります。

その一つが「欲望」
人間が成長するには「貪欲たれ!」と言います。
野望を持った人は目がギラギラしていて魅力があります。

しかし、多くの凡人が欲望を求めるとしんどい。
求める欲望に能力がついていっていない。

そしてそんな状態になっていることに気づいていない。

変な自己啓発などを見て
「努力すれば成功する」
「誰もが輝く才能を持っている」
と言われて頑張ってしまう。

上記のことは嘘ではないと思います。

ただし、多くの人はそれが稼ぎに結びつかない。

「うんこを見て泣ける努力」
「うんこ見て泣ける才能」
そんな感じのものがあるだけ。

なのにそれでビジネスが成功する。仕事が出来るようになる。

そう思い苦しんでいるのではないでしょうか。

向上心を持つのも良いこととされています。
これもしんどい。
ずっと右肩上がりなんて無理です。
「昨日の自分を超えていけ!」なんて言っても
30年経っても大して変わっていないのが凡人です。

時には「向下心」(こんな言葉ないけど)を持って
怠けてみる。ちょい悪してみてもいい。

向上心なんて持たなくていい。

よくよく考えてみると「向上心」「努力」なんて人間だけ。
動物は「向上心」もなければ「努力」もしません。

必要な時に必要なことをやる。
できなければ終了。
それもいい。

発展

世の中が高度に発達したのもしんどい。
昔の長時間労働は例えばコンピュータの処理が遅くて
何時間もかかっていて、プログラマーはその間ぼーっとできた。

しかし、今のPCは処理が速くて、やれることが増えた。
その分仕事も増えるわけです。

昨今ではAIやらロボットなどが発展して、人間のやることがなくなってきました。

一気に進んで自分の分身ロボットが働いてくれればいいのですが、
そこまでにはまだ時間がかかりそうです。

今はテクノロジーで自動化が進んでいるがその利益は資本家にしか行っていない状況です。
要はよく言うAIやロボットに仕事と給料を奪われた状態。
仕事だけにして給料くれればいいのですがね。

金のために働いている

世の中の凡人の何が苦しいって

「金(かね)」

毎月、返済のために生き。
金策に悩む。
それも普通に生きていくというよりも
税金やら社会保障が半分。
子どもがいれば養育費。
働けど働けど我が暮らし楽にならず。です。

貨幣・・・この歴史的発明・・
しかし、それが人間を不幸にしている気がします。

お金は貯め込むことができます。
それがいけない。

食べ物なら多く取れたら分けようと思う。
本来そうあればいいのでしょうが。

飽和、便利、平和

飽和している世の中。
あらゆるモノが過剰です。

スーパーに行けば一年中肉や魚は尽きません。
便利です。
外食もいくらでもできます。

スーパーに肉があることに感動する人は少ないでしょう。

日本はさらに電気や水も止まることがありません。
だから災害で電気や水が止まることがニュースになる。

それが当たり前の世の中。

ちょっと異常な気がします。

いつも足りない
いつも上手くいかない
のが普通だと思います。

ネットの日常化、流通網の充実、家電の発展
便利、便利、便利です。
でも、便利の裏にはプライバシーの侵害や噂の拡散など負の面もあります。
SNSなどに毒されている部分もあります。
ついついネットで動画みてしまいます。

モノに満たされ、超便利
こんな世の中が長く続くとは思えません。

今から慣れておくのと、
今の満たされた生活が普通だと思わないことも大切です。

正月3ヶ日は国防、治安、救急以外は休むとか
停電、断水の日だってあっていい。

夜停電した街で夜空を見上げたら何か感じるのではないでしょうか。

そして当然のように享受している平和。

これも当たり前ではなくなっています。

人間というのは本当に厄介なところがあります。
平和が大事と言いながら非日常に刺激を求めています。

台風、地震、自分の身に降りかかると不幸ですが、
自分に被害がなければどこか高揚したりします。

逆に言えば非日常的なことがなければ人間はどこか退屈になります。

日々会社で戦っているから休日が嬉しいわけです。

平和でない状態であってこそ幸せというのは見えてくるのかもしれません。

自然、ありのまま

そんなことない!私は永遠の平和を願っているという人もいるでしょう。
けど、それは凡人の多くも望んでいます。
しかし悲しいかな潜在意識では他人の成功より失敗を喜びます。
テレビを見ればわかります。他人の不幸を喜んで報道しています。
それは求める人が多いから。

都会という自然から隔離された場所に住んでいることも
歪んだ世の中にしている。

先日SNSで「蛙の鳴き声がうるさいから眠れない、なんとかしろ!」と訴えた人がいました。
これなんかは自然から離れてしまい歪んでしまった例ですね。
じゃあ、農薬まいて蛙を大量に皆殺しにするのか?

そもそも蛙の鳴き声や虫の音色が雑音に聞こえるなんて野蛮な欧米人と一緒です。
日本人なら心地よく聞こえるはず。



人間、もっと自然に近づくほうがいい。
キャンプをする人が増えているのはそういうことを感じとっているのかもしれません。

最近はなんでも知識でものを見ようとします。
そうじゃない、もっと感じないといけない。

人間の見極め方なんてHOW TO なんて見なくても感じられるのが一番。
それには自然に身をおいて感覚を研ぎ澄ますこと。
天気なんて感じて察知すれば天気予報なんていらない。
空気が湿ってきて、蛙が鳴き出したら雨が降ります。

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さて、これからの世の中どうなっていくのか?
見えませんね。

故に無理に努力しなくてもありのまま、自然に生きていくことで良いと思います。
出来たら自然の多いところに住むのがいい。

将来のために何をしておいたらいいかも全くわかりません。
だから、自分がやりたいこと好きなことを極めておくしかない。
誰も感心を持たなくても細々やっておけばいいんです。
もしかしたらそれが役立つかもわかりません。

まあ、釣りして料理できたり、畑で野菜作って料理できたり、
山で山菜取って料理できたり、DIYで小屋作ったり出来たり、
服作ったり、鞄作ったり、火を起こしたり。
そういうことが役に立ってくるような気がします。

あと、色々工夫してモノがなくても生きていけるようにしておけば大丈夫です。

給料減って、物価や税金が上がっても質素は最強ですから。

その点、近くに山や海があれば色々あるので豊かになれます。

私は50歳を超えていますが、50歳で人生終了しています。
別に何かをやり遂げたとか絶望したわけではありませんが、
まあ、50年生きれば十分、ここで死んでも問題ない気持ちです。
なので今はオマケ、ロスタイムみたいなものです。
もうゴールしたから別に頑張らなくていいやって感じです。
人間50年ぐらいが丁度いいんだろうと思います。
このくらいの元気さで終了すれば介護問題もないでしょう。

今は70歳まで働けって?ゾンビですな。

寿命なんざ50歳でいい。
だから健康なんて気にせず自由に生きてさっさと死ぬ。
それでいい。
定年40歳・・・それぐらいでしょう。あと十年を年金で生き生き生きる。

長生きが良いというのも変な価値観。
そんなに生きたいのだろうか。
生に固執しなければ結構楽なのかも知れない。

「四にたい」「四」に対してネットでも規制がキツいが、
四を知ってこその生だと思う。

今の普通の日本人は人間の四なんて見ませんからね。
私もない。
今話していた人が頭が吹っ飛んで動かなくなる。
そんな光景見ることがない。
けど、そんな光景にあってこそ知るんだと思います。

動物や戦火の人間は明日のことなど考えません。
余裕がなければ明日のことなど考えなくていいんです。
今日だけ生きればいい。

今日だけならいけるでしょう。

新天地、希望

希望を持っていきるには新天地が必要だと思います。
未開の地があれば・・・
今の日本には廃村とかあります。

そこを開拓して村、街を作る。

そこには飲食店も美容院も本屋も何もありません。
ブルーオーシャンです。

そこに人が流入してくるなら・・・

既存の街では競争激化で疲弊してしまいます。
求められるレベルも高くて大変です。
けど、新天地ならば素人料理でもOKなんです。

自由過ぎるのも競争ばかりでしんどい。

街にラーメン屋3件とか決めるのもいいかもしれません。
多すぎて選ぶのもしんどい。

適正な人口と仕事が決まった新天地、そんなのもいいかもしれない。

要は村の中で回ればいいのです。無理なくね。

だらだら書いてしまった。
今回はこれまで。
ありがとうございます。










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