こころの中にある思いを、文章として世に出す意味とは
こころの中にある思いを文章として文字に落とす。
それは、簡単なようでいて難しいのです。
なぜ難しいかというと、文章にした時にそれが本当の心なのかどうかが怪しくなるからです。
文章にするということは、人の目に触れるし、ましてや世に出すとなれば、若干、いや大幅な補正が入ってしまいます。
こころの中で思っていることを、そのまま出す勇気はありません。
ちょっとソフトな表現になります。しかし、それはちょっぴり、こころの中と違っていたりします。
例えば公なメディアでビジネスをする理由を聞かれたら、
本心は「お金持ちになりたい」なのに「人の役に立ちたい」とか言ってしまいます。
それは嘘ではないけれど、何か、カッコつけた理由を作ってしまったような、少しの後ろめたさを感じます。
ただ、閉じられたところになら本心をさらけ出せます。
それは日記という形です。私はかれこれ20年書いています。
日記にはうれしいこと、嫌なこと、様々なことを書きます。
特に、嫌なこと、腹の立つこと、落ち込むことなどを書く時には、決して人には見せられない、
本音、汚い言葉、ひどい表現が書き殴られます。
イライラしている時などは、みみずがいっぱい這いずっているような荒々しい文字が紙面を汚します。
これ、警察に捜査されて見られたら間違いなく逮捕されるでしょう。
けれど、自分しか見ないものに体裁は不要です。
ゆえに常識面にいる自分から見ると、「この人危ない、情けない、かわいそうに」となります。
すると冷静になり、書いたことを恥じ、そしてスッキリします。
一人悩み相談、愚痴ヒアリングみたいなものです。
そんな危ない文章はさっさと丸めて捨ててしまえば安全なのですが、しっかり残しています。
それはもう、かれこれ20年ぐらい溜まっていて、たまに読み返してみると、思い出深い。
特に、苦しんだり、超落ち込んだり、怒髪天を衝くような内容は今読んでも面白いのです。
何しろ、人に言えないこころの中を書いているので、人に見られたら顔から火が出るぐらい恥ずかしい。
絶対に見られてはいけない。
もし見られたなら「見たな~」と、見た人間を生かして帰せません。(嘘うそ)
ただ、一度見られてしまったことがあります。
それがあろうことか嫁でありました。
しかも職場の女の子の服装がセクシィ~みたいなことを書いていて(アホですね)
絶対零度の眼差しで「見たくないので見えんとこにしまっておくように」と注意されました。
未だに背筋がぞっとします。けど、この時の心情もしっかり書いておきました。
さて、個人的な文章ならいざ知らず。
世に出すとなると、日記のように書きたいことを好きなように書くわけにはいきません。
世に出すということは、万人、そして後世に「伝える」ということです。
人類の歴史というのは、文字が残っている頃から始まっています。
文字がない時代のことは、文字のある時代に書かれていたから存在を知られたわけで、
文字がない文化・文明は「無い」のと同じです。
しかし、残っている文章というのは、真実か虚構かの判断は難しく、その時の権力者が
都合の良いように書いていればそれが真実となってしまいます。
なので、自分の(都合の良い)真実をしっかり残しておく必要があります。
それが有れば、後世の歴史家がきちんと判断してくれるからです。
歌などでも、人はいろいろな思いを残しています。
特に恋心や恨み節は、自分の恋心を後世の人に知って欲しいという欲求の表れです。
誰もお前の「恋話」なんて興味ねーよ。と思いつつ、
何千年前の人間も、今と変わらないことがわかる。面白いですね。
では、自分はどうか。
歴史的偉業を遂げたわけでもない自分がそのこころの中を世に出しても、ほとんど意味はありません。
それこそ「誰が興味あんねん」と突っ込みたくなります。
でも、こころの中を文字に落とし、文章として世に出しておかないと、
数十年はともかく、それ以降には自分という存在は消滅してしまいます。
自分が生きていたことを伝え知ってもらう、生きた証を残すこと。
それが、世に出す意味なのだと思います。
畢竟、歴史の書物とはそういうものなのだと思います。
では、私はどのような「生きた証」を残すのか。
特に後世に残すようなことがあるわけでもなく、言ってしまえば
別に世の中から忘れ去られても問題ありません。
大体、死んだ後に何言われているかなんて、知ろうにも不可能だと思います。
もしかしたら、イタコや江原啓之に呼び戻されるかも知れませんけれど。
でも、子孫が困っている時の手助けみたいなことが出来るなら
何か書き残しておくのもいいかも知れません。
かの一休さんこと一休宗純は弟子のために遺言を残しました。
「もし、困ったことがあればこの遺言を見よ」と。
そして、本当に困ったことがあった時、弟子たちはその遺言を開きました。
そこにはこう書かれていました。
「大丈夫、なんとかなる」
そんな、勇気を与える文章なら残しておきたい。
子孫が困った時に救いとなる一文を考えてみます。
でも、一番面白いのは、赤裸々な日記だったりするかも知れませんね。