ゾンビ好きって、やばいですか?
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残酷なものを見ているからと言って残酷になるわけではない。
凄惨な事件などが起こった時、その犯人の趣味、思考が語られることがあります。
人を殺すゲームをしていたとか、残虐な動画を見ていたとか、少女の動画を見ていたとかが、あたかも事件に関連したように語られます。
まあ、関連性が全くないとも言えませんが、それが原因だとも言えないわけです。
私なんかゾンビ大好きで、ゾンビ好きとアピールしているので見る人にとっては「危ない人」かもしれません。
ゾンビが好きと言っても、その世界観やキャラクター、非日常のスプラッターが好きであって、実際に人間を襲うとかがしたいわけではないのですよ。
けど、ゾンビ好きって結構多いと思います。
ゾンビ映画は人気があるし、USJなんかは夏になるとゾンビナイトとかやっています。ハロウィンなんかもゾンビ多いですね。
ゾンビの仮装する人は皆危ないですか?
そうじゃない。
暴力、残虐、血しぶきがなかったら、つまらない
暴力や残虐なことを推奨するわけではないですよ。
けど、暴力や残虐シーンが教育に悪いと言って禁止したら漫画や映画はクソつまらなくなるでしょう。
暴力禁止のドラゴンボールが面白いですか?
残虐性のないベジータやフリーザでわくわくしますか?
不倫も復讐もないドラマがドキドキしますか?
絶対、面白くない。
映画や漫画、ドラマは現実にはあまりありえない暴力や残虐性、不道徳が刺激になるのです。
正直、 暴力や残虐性、不道徳 に全く触れていない人っているんでしょうか?
普段、見ている番組が「世界遺産」や「のど自慢」って人が面白い(いや、ある意味面白いかも)でしょうか?
抑圧されるほうが危険
ゾンビが人間の腸を引きずり出すシーンが好きで、それを見ながらおいしくご飯が食べられる。なんて聞くと危ないですか?
けれど、それをひた隠しにするほうが精神衛生的に悪い。
世界の拷問を調べるのが好きとか、死体が好きとか・・色々はばかられる嗜好ってあると思います。
それを隠して、海が好き、山が好きと偽りの自分を演じるほうがしんどい。
人間は自分が変態であると認めてほしい心理ってあると思うんです。
というか、変態だと認識してもらったほうがある意味危険回避になるのではないでしょうか。
自分の中の変態、異常を自分が認めるというのが大事だと思います。
ロリコンなら、自分がロリコンだと自分を認めることが抑制につながります。
幼稚園ではとても働けないと自浄作用が働きます。
でも、自分は聖人だと思っていたら、ロリコン趣向に気づかずに犯罪を犯します。
凄惨な事件が起こった時、私はあんなことは決してやらないと言っている人は危ない。
むしろ、自分も状況によってはやる恐れがあると思っているほうが健全です。
誰しもやけを起こしそうな心境になることがあるんです。
そこでブレーキが効くかどうかは、自分の中に危険な部分があるかどうか知っていることです。
危険な部分があるからブレーキがかけられる。
危険な部分なんか私にはないと思っていれば、ブレーキはかけません。
ゾンビ映画って、人間の本性がすごくよく見えるわけです。
すごく立派な人がゾンビの世界になると狂暴になります。
そこがゾンビ映画の面白いところ。
やっぱり、ゾンビ好きってやばいですか?